- 心理学・脳科学
- 2025年11月28日
【脳科学】なぜ「勉強」はすぐ忘れるのに、「漫画」は一生覚えているのか?反復不要の記憶ルート「情動記憶」の秘密
学生時代、英単語や歴史の年号を覚えるのにはあれほど苦労したの……

友達が落ち込んでいるとき、何か言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。
「元気出して」は軽すぎる気がする。「大丈夫だよ」は無責任な気がする。アドバイスをしたら、かえって傷つけてしまうかもしれない。結局、何も言えずに、ただそばにいるだけになってしまった。そんな経験はありませんか?
でも実は、その「ただそばにいるだけ」こそが、心を支えるいちばん確かな方法かもしれません。
とろLaboで連載中の小説『見えない私が、隣にいたら ―白猫怪談―』の第二章に、まさにそんな場面があります。自分が広めた写真のせいで、後輩のあやめが倒れてしまった永輔。店の裏で一人しゃがみ込む彼の隣に、同級生の裕太は何も言わずに座り、冷たい缶を手に押しつけて、暗くなっていく路地を一緒に眺めます。
後日、永輔はこう打ち明けます。
「俺さ、友達、多いだろ。……でもさ、あやちゃんが倒れて、店の裏で一人になったとき、気づいたんだよ。俺、こういうとき、誰に電話すればいいのか、わかんなかった」
――永輔(第11話)
「慰めもしないし、怒りもしないし。ただ隣に座って、ジュースくれて。……あれ、なんか、よかった」
――永輔(第11話)
なぜ、言葉のない「隣」が、こんなにも心に効くのでしょうか。今回は、心理学と脳科学の研究から、その理由を読み解いてみます。
永輔は友達が多い人です。それなのに、本当に困ったとき、電話をかける相手が思い浮かびませんでした。
これは、彼が特別に寂しい人だからではありません。人間関係には、もともと「層」があるからです。
イギリス・オックスフォード大学の進化心理学者ロビン・ダンバーは、人の付き合いが、親しさに応じた同心円状の層になっていると考えました。外側から順に、およそ150人、50人、15人、そしていちばん内側の約5人です。
ヨーロッパのある国で、約3,500万人分、約60億件の通話記録を分析した2016年の研究でも、この層の構造が確かめられました。いちばん内側の、特によく電話をかけ合う相手の数は、平均で約4人でした。
つまり、困ったときに頼れる「いちばん内側の人」は、誰にとっても数人しかいません。友達が何百人いても、その数人とのつながりが細ければ、いざというときに「誰に電話すればいいのか、わからない」ことは起こりうるのです。
では、その数人がそばにいると、心の中では何が起きているのでしょうか。
アメリカ・バージニア大学のジェームズ・コーンらは、2006年に、こんな実験をしました(Coan ら, 2006)。
結婚生活に満足している16人の女性に、MRI装置の中で「これから弱い電気ショックが来るかもしれない」という合図を見せます。そのとき、次の3つの条件で脳の反応を比べました。
結果、夫の手を握っているときは、脅威に反応する脳の活動が大きく減りました。知らない人の手でも少しは減りましたが、その差ははっきりしていました。さらに、夫婦関係の満足度が高い人ほど、この「警報が静まる」効果は強く出ていました。
言葉は何もかけていません。ただ、信頼できる人がそこにいて、手を握っていた。それだけで、脳は「いま、ひとりで全部を背負わなくていい」と判断したのです。
隣にいる人の力は、ものの見え方まで変えてしまいます。
アメリカ・バージニア大学のシモーネ・シュナルらは、学生に坂のふもとに立ってもらい、その坂の傾きを見積もってもらいました(Schnall ら, 2008)。
すると、友達と一緒に来た人は、一人で来た人よりも、坂をゆるやかに見積もりました。さらに、別の実験では、実際には一人でも、「支えてくれる友達」を思い浮かべてから坂を見た人は、どうでもいい人や苦手な人を思い浮かべた人よりも、坂をゆるやかに感じていました。
研究チームは、友達との関係が長く、親しく、温かいほど、この効果が強いことも報告しています。
目の前の坂は同じでも、隣に誰かがいれば、それは「登れそうな坂」に変わる。落ち込んでいるときの悩みも、きっと同じです。
ここで、少し意外な研究も紹介しておきます。
アメリカのニール・ボルジャーらは、難関の司法試験を控えた人とそのパートナーに、毎日の日記をつけてもらいました(Bolger ら, 2000)。そして、「パートナーから支えてもらった」と受け手が感じた日と、パートナーが「支えた」と答えた日を、別々に記録しました。
すると、受け手が「支えてもらった」とはっきり自覚した日の翌日は、むしろ不安や落ち込みが強くなる傾向がありました。一方で、パートナーは支えていたのに、受け手はそれと気づいていなかった日は、翌日の落ち込みが軽くなっていました。
研究チームは、これを「見えないサポート」と名づけました。
はっきりした励ましや助言は、ありがたい反面、「自分は助けが必要なほど弱っている」「この人に借りができた」と、受け手に感じさせてしまうことがあります。いちばん効いたのは、支えられていると意識しないまま、自然に受け取れる支えだった、というわけです。
なお、その後の研究では、この結果がそのまま再現されなかったものもあり、「見えない支えが必ず一番」とまでは言い切れません。それでも、「励ましの言葉は、多ければ多いほどいい」わけではないことは、心に留めておく価値がありそうです。
ここで、小説の場面に戻ってみましょう。永輔の言葉を借りれば、裕太がしたのは、こんなことでした。
向かい合って話すと、どうしても相手の表情や答えに意識が向きます。でも隣に並んで同じ方向を見ていると、話してもいいし、黙っていてもいい。答えを求められない安心感があります。
そして、手に押しつけられた冷たい缶は、「支えてやる」という大げさな言葉にはなりません。ボルジャーらの言う「見えないサポート」に近い、受け取る側に負担をかけない支えです。
コーンらの実験で、手を握るだけで脳の警報が静まったように。シュナルらの実験で、友達がいるだけで坂がゆるやかに見えたように。永輔の「あれ、なんか、よかった」は、ちゃんと理由のある感覚だったのです。
落ち込んでいる人のそばで、何を言えばいいか迷ったら、次のことを思い出してください。
うまい言葉が見つからなくても大丈夫です。黙って隣に座る、同じ部屋にいる。それだけで、相手の脳は「ひとりではない」と受け取っています。
「それは仕方ないよ」「次はこうしたら?」は、相手が落ち着いてからで十分です。まずは、相手の気持ちに点数をつけないことが大切です。
温かい飲み物を置く、ひざ掛けを渡す、帰り道を一緒に歩く。「何かあったら言ってね」より、具体的な小さな行動のほうが、受け取る側の負担になりません。
カウンター席、ベンチ、車の助手席。同じ方向を見られる場所のほうが、相手は話したいときに話し、黙りたいときに黙ることができます。
永輔のように、困ったときに誰に電話すればいいかわからない、という人もいるかもしれません。
人とのつながりは、長い目で見ると体の健康にも関わります。148の研究、のべ30万人以上のデータをまとめた分析では、人とのつながりが強い人は、弱い人に比べて、調査期間中に生存している可能性が約50%高いという結果が出ています(Holt-Lunstad ら, 2010)。研究チームは、その影響の大きさを、喫煙などのよく知られた健康リスクに匹敵すると述べています。
いちばん内側の数人は、困ったときに急に作れるものではありません。普段から、ちょっとした頼みごとをする。相手が落ち込んでいるときは、自分が隣に座る。そうした小さなやりとりの積み重ねが、いざというときに電話をかけられる相手を育てていきます。
落ち込んでいる人に、気の利いた言葉をかけられなくても、自分を責めなくて大丈夫です。黙って隣に座ってくれたその時間を、相手はきっと、あとになって「あれ、なんか、よかった」と思い出してくれるはずです。