
何度も読み返してしまう、特別な漫画。
あるシーン、あるセリフを思い出すだけで、胸が熱くなったり、涙がこみ上げてきたりする、忘れられない物語。
あなたにも、そんな「心に刺さった」作品が、一つや二つ、あるのではないでしょうか。
私たちは物語に感動し、登場人物に自分を重ね、そして時には、そこから人生を変えるほどの学びを得ることさえあります。
では、その時、私たちの脳の中では、一体何が起こっているのでしょうか?
こんにちは。「とろLabo」の心と頭の探求者、とろです。
今日は、私たちが物語を体験する、その感動の裏側にある脳の働きを、「ワーキングメモリ」「感情移入」、そして「メタ認知」という3つのキーワードを頼りに、少しだけ深く、そして専門的に探求してみたいと思います。
この記事を読み終える頃には、あなたの愛する物語が、きっと今とは少し違って見えてくるはずです。
第1章:物語を体験するエンジン「ワーキングメモリ」
まず、私たちが物語を読み進める上で、常にフル回転している脳の機能があります。それが「ワーキングメモリ」です。
これは、情報を一時的に記憶しながら、同時にそれを処理・操作するための「脳の作業台」のようなものです。(詳しくは、こちらの「とろLabo用語集:ワーキングメモリ」もご覧くださいね!
読書や、特に漫画を読むという行為は、このワーキングメモリにとって、非常に高度なエクササイズと言えます。
私たちは、前のページで起こった出来事や、登場人物たちの関係性を記憶し、彼らのセリフ(音韻ループ)や、場面の状況、キャラクターの位置関係(視空間スケッチパッド)を頭の中に描きながら、新しい情報を結びつけていきます。
さらに、漫画においては、「コマとコマの間」に描かれていない時間を、読者自身の想像力で補完するという、極めて創造的な作業が行われています。キャラクターの表情の微細な変化から次の感情を予測したり、一つのアクションからその結果をイメージしたり…。この「空白を埋める」という能動的な作業こそが、ワーキングメモリに心地よくも深い負荷をかけ、物語への強い没入感と、忘れがたい記憶を生み出す源泉となっているのです。
私たちが「好きな作品」を鮮明に記憶しているのは、このワーキングメモリを駆使した、脳の理想的な学習プロセスが、そこで行われているからなのかもしれません。
第2章:主人公になる魔法「感情移入」の世界
物語の感動の核心、それは「感情移入」です。
これは、主人公の視点に完全に没入し、その喜び、悲しみ、怒り、葛藤を、まるで自分のことのように直接的に「体験」するプロセスです。
この時、私たちの脳は、共感に関わるミラーニューロンシステムなどを活性化させ、自分とキャラクターの境界線を意図的に曖昧にします。そして、自分を客観的に観察する「メタ認知」の働きは、一時的に抑制されやすい状態になります。なぜなら、「これは作り物の物語だ」「自分は今、本を読んでいる読者だ」といった一歩引いた視点は、物語への深い没入の妨げになってしまうからです。
このメタ認知の抑制こそが、私たちを物語の世界に完全にダイブさせ、理屈抜きの強い感動やカタルシス(精神的な浄化)を体験させてくれるのです。
作品によっては、制作者が意図的に、読者が感情移入しやすいように、キャラクターの内面描写を丁寧に描いたり、感情的な音楽や演出を加えたりします。このような作品では、「メッセージ」は教訓としてではなく、物語の体験を通して得られる深い共感として、私たちの心に直接染み渡っていくのです。
第3.章:観察者になる力「メタ認知」の目覚め
一方で、全ての物語が、感情移入だけを促すわけではありません。
時には、読者にあえて登場人物と距離を取らせ、物語の世界や登場人物の行動を、客観的に、そして批判的に「考察」させることを目的とした作品も存在します。
この時に活発に働くのが、「メタ認知」、つまり「もう一人の自分が、思考している自分を観察している」ような、客観的な自己認識能力です。
演劇の世界には、このための「異化効果」という有名な手法があります。ドイツの劇作家ブレヒトが提唱したもので、観客が登場人物に感情移入するのをあえて妨げ、物語が描く社会構造や問題点を、客観的に分析・批判させるための演出です。例えば、登場人物が突然観客に話しかけたり、物語の結末を最初に示してしまったりする手法がこれにあたります。
このような作品では、私たちは物語に「没入」するのではなく、物語と「対峙」します。「なぜ、このキャラクターはこんな非合理な行動を取るのだろう?」「この物語が風刺している、現代社会の問題点は何だろう?」「作者は、この物語を通して何を伝えたかったのか?」…と。
この客観的な問いかけのプロセスを通して、制作者が込めた強い「メッセージ」が、私たちの知性に直接働きかけてくるのです。
第4章:物語の真の楽しみ方~「没入」と「俯瞰」のダンス~
では、感情移入とメタ認知、どちらが良いのでしょうか?
答えは、もちろん「どちらも良い」であり、そして「その両方を行き来すること」にこそ、物語を深く味わう真の楽しみ方がある、と私は考えます。
素晴らしい物語体験とは、まるで美しいダンスのようなものです。
まずは感情移入というステップで、物語の世界に深く没入し、主人公と一体となってその感情を味わう。そして、物語の節目や、読み終えた後の静かな時間で、今度はメタ認知というステップに切り替え、物語全体を客観的に俯瞰してみる。
「あの時、主人公はなぜあんな選択をしたのだろう?」
「もし自分が同じ立場だったら、どうしただろうか?」
「なぜ私は、あのキャラクターの、あのセリフに、あんなにも心を揺さぶられたのだろう?」
この、物語への「没入」と、自分自身への「俯瞰」。
この二つの視点を往復するダンスこそが、単なる娯楽としての読書体験を、自分自身を深く理解し、成長させるための、かけがえのない学びの体験へと昇華させてくれるのではないでしょうか。
あなたが愛する物語は、あなた自身の心を映し出す、最高の鏡でもあるのです。
まとめ:あなたの「好き」は、あなたを成長させる
ワーキングメモリという脳のエンジンを使い、私たちは物語を体験します。時には感情移入によって主人公と一体となり、時にはメタ認知によって物語と自分自身を客観的に見つめる。
この知的でエモーショナルな活動こそが、私たちが物語に深く「刺さる」理由です。
ぜひ、あなたの好きな漫画や物語を、この「感情移入」と「メタ認知」という新しい視点でもう一度読み返してみてください。
きっと、これまで気づかなかった新しい発見と、より深い感動、そしてあなた自身の心の奥底にある、まだ見ぬ一面との出会いが待っているはずです。
「とろLabo」は、物語を愛するあなたの、そんな知的で豊かな時間を、これからも応援しています。