
はじめに
アセチルコリン(Acetylcholine: ACh)とは、中枢神経系(脳)および末梢神経系(体)の双方で機能する、代表的な神経伝達物質です。
1914年に発見された「世界初の神経伝達物質」であり、生理学的には、体に対しては「副交感神経」の主要物質として休息をもたらす一方、脳内では「覚醒」や「認知機能(記憶・学習)」を促進するという、部位によって異なる作用を持つことが特徴です。 一見相反する休息と集中を支える、この物質のメカニズムについて解説します。
1. 【定義と局在】最初に見つかった神経伝達物質
定義
コリン(Choline)とアセチルCoAが酵素によって合成された有機化合物。 神経終末から放出され、受容体(ムスカリン性またはニコチン性)に結合することで情報を伝達します。
主な局在(脳内)
前脳基底部にある「マイネルト基底核」などが主な産生場所です。 ここから大脳皮質全体や海馬に向けて神経線維を投射し(コリン作動性投射系)、脳全体の覚醒レベルや可塑性を制御しています。
🧪 【コラム】ノーベル賞を受賞した「夢」
アセチルコリンの発見には有名な逸話があります。 生理学者オットー・レーヴィは、ある夜、「カエルの心臓を使った実験方法」を夢で見て飛び起き、その通りに実験を行いました。

彼は迷走神経を刺激した心臓の溶液を、別の心臓にかけると、そちらの脈も遅くなることを確認しました。 これにより「神経は電気だけでなく、化学物質(アセチルコリン)で情報を伝えている」ことが証明され、彼はノーベル賞を受賞しました。
2. 【生理機能】末梢の休息、中枢の覚醒
アセチルコリンの最大の特徴は、作用する場所によって全く異なる機能を発揮する点にあります。
① 末梢神経系:副交感神経の主役
心拍数の低下、血管の拡張、消化管運動の促進など、生体を「休息・エネルギー保存モード」へと導きます。 夜間のリラックス状態や睡眠への導入は、主にこの働きによるものです。
② 中枢神経系:認知機能とシータ波
脳内においては、逆に大脳皮質を活性化させ、注意集中や学習効率を高めます。 特に海馬においては「シータ波(θ波)」と呼ばれる脳波を誘発し、短期記憶の形成や、新しい情報のエンコーディング(符号化)を促進する重要な役割を担っています。
🧖♀️ 【コラム】「サウナで整う」の科学的正体
サウナ後の外気浴で訪れる、体がリラックスしているのに頭が冴え渡る感覚(整う)。 これは、アセチルコリンが作り出す特殊な状態だと言われています。
体は副交感神経優位で脱力し(アセチルコリンの末梢作用)、脳は血流改善によって覚醒しシータ波が出る(アセチルコリンの中枢作用)。 この「究極の休息と集中」の共存こそが、アセチルコリンの特徴的な作用です。

⚠️ 【コラム】アルツハイマー型認知症との関連
アルツハイマー病の患者の脳内では、アセチルコリンを合成する酵素の活性が著しく低下し、マイネルト基底核の神経細胞が脱落していることが知られています。 そのため、現在使用されている主要な認知症治療薬(ドネペジルなど)は、脳内でアセチルコリンが分解されるのを防ぎ、濃度を高める作用機序を持っています。
🥚 【コラム】原料「レシチン」とタバコの罠
摂取:アセチルコリンの原料となる「レシチン(コリン)」は体内合成が難しいため、卵黄や大豆製品(納豆・豆腐)から摂取する必要があります。
阻害:タバコの「ニコチン」は、アセチルコリン受容体に無理やり結合して擬似的な覚醒をもたらします。これを続けると受容体の感度が下がり、自力で集中できなくなる(依存形成)ため注意が必要です。
まとめ
アセチルコリンは、私たちの体をメンテナンス(休息)し、同時に脳をクリエイティブなモード(覚醒)へ導く、生命維持と知的活動の両輪を支える物質です。
「リラックスしているのに、良いアイデアが浮かぶ」。
そんな理想的なフロー状態を作るためには、脳の栄養(レシチン)を摂り、新しい場所への探索行動などで海馬の回路を刺激することが有効です。














