- 2022年7月20日
【バックハンドコンプリメント】嫌われない、正しい褒め方とは?
この記事はこんな人におすすめ 褒めているのに周りと上手くやれていない気がする。相手を褒めたはずなのに、ちょっと不機……
夢枕獏さんの陰陽師の中で、安倍晴明が「呪(しゅ)とは名ぞ。」と言っています。
つまり、「『呪』というのは『名前を付けること』だよ。」
という意味です。
名前がついているものは全て、その在り方を縛られているということです。
身の周りのもので、「名前」がついていないものってありませんよね。
名前がわからないものはあるけど、それはそれで、名前を勝手につけて呼んでいたりします。
カーテンとレールをつなげるやつは、よく名前がわかりませんが、
「カーテンの上のシャーってなるやつ」
といえば、だいたい「アレのことかな。」と、みんなの中で、正式名称は置いておて、「カーテンのシャー」で伝わったりします。
これは、「カーテンのシャー」という名前によって在り方が縛られている状態になります。
これは、カーテンのシャーがそういった用途で作られていることに加えて、こちらがそういった用途で認識し、そういった用途に使っているからなんです。
「名前」というのは、単にそれぞれの個体を識別するものというだけではなく、その個体の「性質」、「特性」も識別するものでもあります。
例えば、「花火」と「爆竹」はどちらも火薬が使われています。どちらもそれを爆発させるものになります。
でも、花火と爆竹だと、受けるイメージが違いますよね?
花火は、きれい、夏、ロマンチック
爆竹は、うるさい、いたずら、迷惑
そんなイメージがあるんじゃないでしょうか?
また、花火が、路上で爆発すれば、事件にもなります。
名前を付けるということは、「それ」のイメージをある程度決定してしまうことになるわけです。
これを、自分や人に使うとどうなるかというと、やはり性質や特性を縛ることになります。
「ダメ男」という名前が定着してしまえば、その人は、周りから、能力が低いと思われるし、本当にその人の能力も下がってしまいます。
例えば、咳が三日間続いている人がいたとして、病院で「風邪ですね。」と言われた場合と、「もしかすると肺がんかもしれません。」 といわれたとします。
同じ症状でも、「風邪ですね。」の場合は、安心し、「もしかすると肺がんかもしれません。」の場合は、不安になるはずです。
同じ症状だったとしても、風邪と肺がんだと、感じ方が違ってくるんです。
また、これを、医師が言うのか看護師さんが言うのか、近所のおじさんが言うのかでも変わってきます。
「医師」は、「医師」と言う名前に縛られていますから、近所のおじさんよりも、病名に込められる重さが違ってくるわけです。
これが「呪」の力です。
逆に考えると、名前がつけられないものがあるとすれば、それは人智を超えたものということになります。
安倍晴明は、そういったものに名前をつけて、使役していたってことなんですかね。
久しぶりに読みたくなったので、ちょっと書いてみました。
いつも自由にやらせてもらってますが、最近、健康のことにも気を使わないとなと思い、ブログを書きながら、自分自身も健康に対する意識を高めてみようかなと考えています。あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を持っているので、体のことや健康のことにはそれなりに詳しいです。 なぞなぞと手品が大好きです。
コメントを書く