【呪いの正体】「○○」で縛る

【呪いの正体】「○○」で縛る

夢枕獏さんの陰陽師の中で、安倍晴明が「呪(しゅ)とは名ぞ。」と言っています。

 つまり、「『呪』というのは『名前を付けること』だよ。」

 という意味です。
 名前がついているものは全て、その在り方を縛られているということです。

 身の周りのもので、「名前」がついていないものってありませんよね。

 名前がわからないものはあるけど、それはそれで、名前を勝手につけて呼んでいたりします。

カーテンの上でシャーってなるやつ

 カーテンとレールをつなげるやつは、よく名前がわかりませんが、

 「カーテンの上のシャーってなるやつ」

 といえば、だいたい「アレのことかな。」と、みんなの中で、正式名称は置いておて、「カーテンのシャー」で伝わったりします。

 これは、「カーテンのシャー」という名前によって在り方が縛られている状態になります。

 これは、カーテンのシャーがそういった用途で作られていることに加えて、こちらがそういった用途で認識し、そういった用途に使っているからなんです。

 「名前」というのは、単にそれぞれの個体を識別するものというだけではなく、その個体の「性質」、「特性」も識別するものでもあります。

 例えば、「花火」と「爆竹」はどちらも火薬が使われています。どちらもそれを爆発させるものになります。

 でも、花火と爆竹だと、受けるイメージが違いますよね?

 花火は、きれい、夏、ロマンチック

 爆竹は、うるさい、いたずら、迷惑

 そんなイメージがあるんじゃないでしょうか?

 また、花火が、路上で爆発すれば、事件にもなります。

 名前を付けるということは、「それ」のイメージをある程度決定してしまうことになるわけです。

 これを、自分や人に使うとどうなるかというと、やはり性質や特性を縛ることになります。

 「ダメ男」という名前が定着してしまえば、その人は、周りから、能力が低いと思われるし、本当にその人の能力も下がってしまいます。

 例えば、咳が三日間続いている人がいたとして、病院で「風邪ですね。」と言われた場合と、「もしかすると肺がんかもしれません。」 といわれたとします。

 同じ症状でも、「風邪ですね。」の場合は、安心し、「もしかすると肺がんかもしれません。」の場合は、不安になるはずです。

 同じ症状だったとしても、風邪と肺がんだと、感じ方が違ってくるんです。

 また、これを、医師が言うのか看護師さんが言うのか、近所のおじさんが言うのかでも変わってきます。

 「医師」は、「医師」と言う名前に縛られていますから、近所のおじさんよりも、病名に込められる重さが違ってくるわけです。

 これが「呪」の力です。 

 逆に考えると、名前がつけられないものがあるとすれば、それは人智を超えたものということになります。
 安倍晴明は、そういったものに名前をつけて、使役していたってことなんですかね。

 久しぶりに読みたくなったので、ちょっと書いてみました。

私がこの記事を書いたよ!

テリー

いつも自由にやらせてもらってますが、最近、健康のことにも気を使わないとなと思い、ブログを書きながら、自分自身も健康に対する意識を高めてみようかなと考えています。あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を持っているので、体のことや健康のことにはそれなりに詳しいです。 なぞなぞと手品が大好きです。

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