【白猫怪談】ドアを叩くもの

電話の音で目が覚める。時計が10時を指している。ぼんやり天井を眺める。着信音はまだ止まらない。画面を見ると、「赤沢奈緒子」と表示されている。以前世話になっていた店のママの名前だ。上体を起こして電話に出る。
「紗希ちゃん寝てた?」
明るい声が聞こえる。相変わらずだなと少し嬉しい気持ちになるが、「寝てたよ。」とぶっきらぼうに返す。
「今日ランチでもしない?」
マイペースなのも相変わらずだなと口元を緩ませながら、「わかった。」と答え、電話をきる。
赤沢奈緒子は、私が店を出す前に働いていたスナックのママだ。天神町で10人程の従業員を雇って経営しているそれなりにやり手のママである。店を辞めた後も私のことを気にかけてくれて、たまに店に顔を出してくれたりもする。プライベートでもそれなりに付き合いがあり、姉のような存在である。
そんな奈緒子が私に聞いてほしい話があるというのだ。眠いからという理由で断るわけにはいかない。
待ち合わせは西町にある行きつけの喫茶店だ。それほど遠くないが、少し早めに行くことにした。
喫茶店のドアを開けるとウエイターの羽田が声をかけてくれた。人懐っこい笑顔がそのメガネから飛び出しそうな勢いである。
待ち合わせであることを伝えると、「デートですか?」と、からかううように聞いてくる。こちらもそれにあわせて「そうだよ」と応える。羽田は気を利かせて、私のお気に入りのボックス席に案内してくれた。
二日酔いに効くコーヒーか紅茶はあるかと聞くと、羽田は少し考えて「ありますよ」といい、店の奥へ消えていく。
この喫茶店・ビランチャは私が店を出すのと同じ時期に開店したので、なんとなく親しみのある店だ。そして、安くてうまい。お気に入りの店である。奈緒子とも何度も来ているので、色々と融通してくれる。
「お待たせしました。アメリカンです。」
羽田がコーヒーを持ってきてくれた。聞けば、アンデスマウンテンという豆を浅煎りして煎れたものだという。通常のものよりもカフェインが多く、ミルクと砂糖も多めに入っているようで、これが二日酔いにいいのだという。
羽田には、いつも変な注文をするのだが、嫌な顔ひとつせずに出してくれる。
「ではごゆっくり。」

会釈をする羽田に軽く返事を返し、読みかけの雑誌に視線を戻す。隣市の心霊スポットに関する記事だ。数日前、有紗がどこからか古い雑誌を持ってきた。よく見かける週刊誌なのだが、そこには、隣市にある廃ホテルで今から10年前にあった事件のことが掲載されているのだという。
「結構騒ぎになったよね。すっかり忘れてた。」
有紗の言うとおり、確かにそんな事件があった。廃ホテルで遺体が見つかったという事件で、被害者は地元に住む女子高生。犯人が捕まったと言う話は聞かない。
コーヒーを飲みながら事件に関する記事に目を通す。
確かに高校生の時にそんな事件が起こった。周りでも色々な噂が飛び交っていた。どうやら被害者とは、学校は違うが、歳が同じであること。援助交際が関係しているのではないかということが周りから聞こえてきたことを思い出す。記事にはそういったことは一切記載されておらず、地下の一室で絞殺されていたと言う話や、捜索願が出されてから1ヶ月後に、廃ホテルに肝試しに来た若者たちに発見されたと言う話が書かれている。
当時のことを、苦い顔をしながらぼんやりと思い出していると羽田の声が聞こえた。
「いらっしゃいませ。ご案内いたします。」
そちらの方を見ると奈緒子が羽田に案内されて向かってきていた。
手元の電話機の画面を見るが、まだ待ち合わせ時間の30分前だ。
奈緒子は、「早いわね。」と、こちらに笑顔を向け、羽田に紅茶を注文して向かいの椅子に腰掛けた。
「ママこそ早いですね。」
雑誌をしまいながら笑顔で応える。
ランチを注文し、待つ間、早速本題を切り出す。
奈緒子曰く、ここ最近、営業中、同じ時間帯にドアが叩かれるのだという。ドアを開けて周りを見ても誰もいないのだそうだ。
「最初のうちは気のせいだと思ってたんだけど、このところ毎日だから気持ち悪くて。」
どうやら奈緒子は霊的なものの仕業ではないかと考えているようだった。
大雑把に話を聞いたタイミングで、ランチが運ばれてきたので話を一旦中断する。
ここのランチはかなり美味しい。喫茶店のランチとは思えないクオリティーだ。
それもそのはず、ここの経営者兼シェフの柳木さんは元々イタリアンレストランで料理長をしていたようなのだ。まだ30半ばだと言うのに、ただものではない感じの雰囲気を出している。
なんでも美味しいのだが、個人的には前菜が気に入っている。前菜のことをアンティパストと言うらしい。ここのランチは、数種類のアンティパストが一枚のさらにおしゃれに盛り付けられて出てくるのだ。
運ばれてきたメニューに目を輝かせていると、柳木シェフがやってきた。
奈緒子もこの店をとても気に入っており、従業員ともよく来ているようだった。とても親しげに話をしている。
シェフは、一通り話終わると、奥に消えていった。
他愛もない話をしながら食事をし、デザートを食べ終わったところで、奈緒子が件の話を始める。
「これって、お化けかな?」
奈緒子は少し困ったような顔でこちらを見つめる。
私は、以前から、いわゆるお化け事案に関わることが多かった。自分としては、幽霊が見えたりするわけではないのだが、何回かお化け事案を解決したことがあるのだ。周りから見れば「祓った」とか「除霊した」とかいう感じに見えるのだろう。
奈緒子は、それを頼って相談してきているのだ。
「お化けかどうかわかんないけど、店にいってみていい?」
奈緒子には、いろいろなことで世話になっている。奈緒子が困っていて、自分を頼ってくれたのならそれに応えたい。ただ、実際にその状況を確認してみたいので、奈緒子のスナックに行ってみたかったのだ。
奈緒子からは、毎日23時30分頃にドアが叩かれるから、23時頃に来てほしいという話になった。

奈緒子がママを務めるスナック・ビリーブは平日にも関わらず盛況だった。ドアを開けると奈緒子が気づいてこちらにやってきた。ビリーブは、ドアを開けると左側に大きな観葉植物の鉢植えがあり、右手側には4人が座れるカウンターがある。正面奥には6人がけのボックス席が4つある。カウンターに控えているボーイの田中が軽く会釈をしてきたので、こちらも返す。
「紗希ちゃん、きてくれてありがとう。」
奈緒子はそういって、誰も座っていないカウンターの席を促してきた。奈緒子も隣の席に座り、田中に飲み物を催促する。
カシスオレンジを飲みながら奈緒子と田中の3人で他愛のない話をする。
「そういえば昨日、かっちゃんがきたよ。」
ちょっと嬉しそうに田中が話す。かっちゃんというのは昔馴染みの客で、私がビリーブにいた時からの付き合いである。先日もうちの店の模様替えを手伝ってくれた。本名は須藤克也といい、今年で41になる。田中とは気が合うようで、ビリーブに来て、カウンターで田中と何やらずっと話し込んでいたりすることもある。従業員の中には、そういうタイプの人だと思われがちだが、そんなことはないと思う。以前、田中とどんな話をしているのか聞き耳を立てていたことがあったが、田中の話を須藤がひたすら聞き続けているという感じだった。田中は須藤のことを話上手というが、正確には聞き上手なのだろう。そうこうしていると田中が従業員の女の子に呼ばれる。
カウンターで二人になったところで、奈緒子に小さい声で件のことを尋ねる。
「ドアのこと、田中ちゃんだけには言ってあるんだけど、他の子には怖がらせるとアレだから言ってないの。」
ドアの音を聞いたのは他に誰かいないのかを聞くと、1回だけ、カウンターのお客さんと田中と3人で聞いたことがあるということだった。
時計を見るとまもなく23時30分を指すところだった。奈緒子を見ると顔が少し強張っている。
しばらくして、奈緒子の体がビクッと動き、恐る恐るドアの方を向いた。私は素早く立ち上がりドアを開けて店の外に出た。辺りを見渡したが誰もいない。向かいや隣の店舗に入っていった気配もない。いつの間にか奈緒子も外に出てきている。奈緒子の顔を見ると、「聞こえたでしょ?」と訴えかけてくる。
「このところ毎日なの。ほんとに嫌になっちゃう。」
うんざりといった顔で肩を落とし、店の中に入っていく。店に戻ると、数人の女の子がこちらをみている。
「かっちゃんのイタズラにも困るよね。」
なんとなくそういうストーリーにして笑って見せ、カウンター席に座る。奈緒子もそれに合わせて笑いながら座る。女の子たちも、なんだという顔で、接客モードに戻る。田中だけが店の外に出ていく。
「なんなんだろうね?あれ。」
奈緒子が不安そうにこちらを見る。いつも明るい奈緒子がこんな顔をするのは滅多にない。本当に不安なのだろう。
「紗希ちゃん、かっちゃんどこに行ったの?」
田中に聞かれ苦笑する。もう他の店に行ったよと答えると少し寂しそうな顔になった。そんなやりとりをしているとボックス席の客に奈緒子が呼ばれ、そちらの方に接客に行ってしまった。
「ところでさ、さっきなんか聞こえた?」
田中に聞くと、なんのことかわからないといった反応を返された。
やはりそうなのだ。あれは奈緒子にしか聞こえていない。
「なんかさ、前に、ドアをノックされるイタズラなかった?」
そう聞くと、1度だけあったという話を聞かせてくれた。
田中曰く、1ヶ月前のことだそうだ。
平日で、客が一人だったのでカウンターで接客していた時にドアがノックされたのだという。しばらくの間の後に奈緒子が返事をしたが、ドアを開ける気配がない。ずっとノックされていたので奈緒子が田中に目配せをし、田中がドアを開けたのだという。辺りを見回したが誰もいなかったらしい。
昼間に奈緒子に聞いた話と同じである。
「かっちゃんのイタズラだったんだね。」
田中がなんともいえない笑顔でいう。どうやら都合のいい感じで勘違いしてくれているようだ。田中にウイスキーを催促し、飲みながらタバコを蒸す。煙を吐きながら店内をそれとなく見渡す。従業員も当時から何人か入れ替わったが、知った顔もある。スナックで働いていた時のことを思い出しながら懐かしく店内をみていると、違和感を感じる場所があった。
観葉植物の鉢植えの一部が以前と違っている。土の上に白いビー玉のようなものが一つ乗っかっている。なんのきなしに手に取ってみる。
「それ、この前お客さんからもらったんだよ。」
田中が私の様子を見てそういった。1ヶ月ほど前に、新規のお客さんがやってきて、風水グッズだといって置いていったのだという。山王町にあるIT系の会社の社員なのだそうだ。
「紗希ちゃんごめんね。」
そういって奈緒子が帰ってきた。「何かわかった?」という感じでこちらを見ている。私が手に持っているビー玉に気づいたのか、観葉植物の方を一瞬見やって、田中と同じ説明を始めた。
「金運がアップするんだって。」
「ふーん。」と応えながら、奈緒子を見て話を元に戻す。
イタズラ好きな浮遊霊が面白半分でやっていること、害はないということを伝える。気になるようなら祓っておくというと、奈緒子はほっとした表情をしてそれを依頼してきた。
「いくらでやってくれるの?」
奈緒子に請求するつもりはなかったが、手に持っているビー玉をもらっていくことにし、閉店して従業員がはけた後にお祓いの術式を行った。
この術式は小さい頃に祖母から教わったもので、私にはよくわからないが、それなりに効果があるものらしい。それなりに見えるように行い、その日は帰宅した。
後日、奈緒子から連絡があり、あれ以来、ドアが叩かれる音がなくなったと感謝された。

有紗が休みだというので、ブランチをすることにした。
喫茶店に入るとウエイターが笑顔で出迎えてくれた。いつもと違って、ニヤッとした笑顔になっている。
「出迎えご苦労!」
後ろを向くと有紗も同じうにニヤつきながら言葉を返す。
ウエイターは、いつもの席に案内しながら、有紗といくつか言葉を交わしている。二人は高校3年間同じクラスだったらしく、それなりの仲なのだ。
いつもの席に座り、この前のアメリカンをを注文する。有紗はマシュマロ入りのココアを注文していた。「かしこまりました。」と言いウエイターが奥に消えていく。
「それで奈緒子ママのやつ、どうだったの?」
有紗が興味津々といった顔で聞いてきたので、その日のことを説明した。有紗は少し首を傾げる。
「じゃあ紗希にはドアの音は聞こえなかったの?」
聞こえなかったと応える。
あの時、ビリーブのカウンターで23時30分を迎えた時、ドアを叩く音どころか、なんの気配も感じなかった。しかし、奈緒子だけには聞こえていた。
「奈緒子ママだけ聞こえてたんだね。」
有紗は納得したようにいう。
私は昔から人の心が読めるというか見えるというか、そんなことがある。いつでもできるわけでもないし、意図的にできるわけでもない。ただ、人が動揺したりするような時に、そういうことが起こりやすいのは経験でわかっていた。
あの時も奈緒子の心が見えたのだ。暗示にかかったような状態になっていたので、それを解くために、一連の流れで暗示を上書きしてみたと説明した。
「紗希のお祓いって本物っぽいもんね。」
ニコニコしながら有紗がこちらを見る。黙っていれば大人っぽいのだが、こういう時の有紗は子供みたいに見える。
あの日、ビリーブのカウンターで田中の話を聞いた時から、おそらく奈緒子にしか聞こえていないのだろうと感じていた。奈緒子はマイペースだが、感受性が強いタイプだったので、以前にも似たようなことがあった。だから今回も同じような感じで、奈緒子に話を合わせ、「お化け」の仕業ということにし、それを祓うという方法をとったのだ。
「お待たせしました。アメリカンコーヒーとマシュマロココアです。」
ウエイターが手際良くコースターとカップを置いて一礼し店の奥に消えていく。
コーヒーを飲みながら有紗を見ると、スプーンでマシュマロを食べている。それは正しい飲み方なのかと聞くと、食べ方は人それぞれ、自由なのだと、何か勝ち誇ったような感じで応える。
「ところでさ、奈緒子ママはなんで暗示にかかっちゃったのかな?」
スプーンでマシュマロをいじりながら有紗が聞いてきた。それは私もずっと考えていた。可能性としては、田中が一度だけ聞いたというドアを叩く音。おそらくそのタイミングで、何かしらの暗示がかかってしまったのだろうという話をした。
「じゃあ、その時の音は本物?」
有紗は目を輝かせている。昔から有紗は怖がりなのだが、不思議なものや存在に対する好奇心が強かった。今回のことも、いわゆる「お化け」が関係しているのではと考えているようだった。それについては、なんともいえないが、可能性としてなくはないかなとも思う。しかし、家鳴りやイタズラの可能性も十分にあると応える。有紗は少しがっかりした様子でココアを啜った。
有紗がなぜか残念そうにしていたので、そういえばと前置きをして、戦利品の白いビー玉を見せて、経緯を説明した。
私には霊感とかそういうものはないのだが、この白いビー玉からは何か嫌な感じがする気がしたので、戦利品ということでビリーブから撤去してきたのだ。有紗は興味津々と言った様子で白いビー玉をいじっている。
「これって本物じゃない?」
何が本物なのかはよくわからないが、私の祖母に見せてみてはという話になった。祖母は昔からそういうものに詳しかった。小さい頃、祖母に助けてもらったこともあった。有紗もそのことは知っているので、祖母の話をしているのだ。
「そうだね。」と応えて私たちはスペシャルランチを注文した。

私がこの記事を書いたよ!

テリー

いつも自由にやらせてもらってますが、最近、健康のことにも気を使わないとなと思い、ブログを書きながら、自分自身も健康に対する意識を高めてみようかなと考えています。あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家資格を持っているので、体のことや健康のことにはそれなりに詳しいです。 なぞなぞと手品が大好きです。

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